2006年09月03日

悪意に満ちた表現

 安倍官房長官を良く思っていないジャーナリストによる恣意的な情報操作が最近多く見られる。TBSニュース731部隊に関する特集で安倍氏の写真が偶然にも写った件などがその最たる例であろう。
 そのなかでも特に気になるのが「岸信介=A級戦犯容疑者」という点から「安倍晋三=A級戦犯容疑者の孫」という変換をし、言外に安倍氏にマイナスのレッテルを貼ろうとする行為である。たとえば、中日新聞社説「政治の基礎は“学習”」

前略

 戦前戦中のまさに「官の指導者」であり、A級戦犯リストにも載った岸信介氏がその石橋氏の後継首相になったのは歴史の皮肉ですが、終戦記念日に靖国神社に参拝した小泉純一郎首相は石橋氏の心中を察したことなどないでしょう。
 折しも小泉後継の最有力候補は岸氏の孫である、安倍晋三内閣官房長官とされています。歴史はドラマチックに展開します。(中日新聞2006年9月3日

後略

 他の例として、ニューヨークタイムズ東京支局長による記事「安倍氏は小泉氏より強硬派」

前略

 その上で、有権者の間では数年前まで「安倍晋太郎元外相の息子、A級戦犯容疑者だった岸信介元首相の孫」といった認識だったが、(SANSPO.COM2006年9月2日

後略

オリジナルは「Japan’s Likely Next Premier in Hawkish Stand」(The New York Times, 09,02,2006, NORIMITSU ONISHI)

前略

 Until a few years ago Mr. Abe was known among voters mainly for being the son of Shintaro Abe, a Liberal Democrat who almost became prime minister, and the grandson of Nobusuke Kishi, a cabinet member during the war, who was imprisoned as a Class A war crimes suspect but was never tried and who became prime minister in 1957.

後略

などを挙げることが出来る。A級戦犯=軍国主義者という左翼が良く用いるコンテクストの流れにある記事ではあり、そのロジックを自体を批判することも出来ようが、それ以外にもこれらの記事の論法には問題がある。
 まず第一には、岸氏の場合、「A級戦犯」についてはあくまでも取調べを受けただけであり起訴されていないのだから、近代法の推定無罪の原則により、容疑を受けたという事実を利用して氏に何らかのレッテルを貼るのは間違いである。そして第二には、たとえ、岸氏の戦前の政治行動が大きな責任を負わねばならなかったものであったとしても、その責務(罪)は子孫に受け継がれないという近代法の原則を恣意的に無視しているという点である。
 このような行為は明らかに人権侵害であり、メディアに期待されている政治に対する監視者という役割を明らかに逸脱している。左派系メディアの人権に関する見識を疑いたくなると言わざるを得ないほど、安倍氏に対する攻撃記事(批判記事?)は低俗なものが多すぎると感じる。
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2006年08月09日

ニコンD80

 ニコンのD80のスペックをざっと見ると、非常に素晴らしく、長らく使い続けるのに相応しいレベルのボディですね。フィルム一眼レフで、サブ機として見て名機といえるF80と同じ80という数字を使ってきたのも、ニコンの自信の表れでしょうか。キヤノンの5Dの5と同じく、メーカーの自信度は製品名で分かることが良くあります。ニコン使いの人には朗報ですね。
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2006年02月10日

野田佳彦国会対策委員長の発言

 民主党の野田佳彦国会対策委員長の発言には耳を疑う。予算委員会で、自民党の菅原一秀議員が民主党のスキャンダルを批判したところ、審議がストップしてしまった。質問内容自体はそんなに褒められた物ではないが、民主党が自民党のスキャンダル批判をする以上、自身のスキャンダルに対しても厳しく対処することは当たり前のことであろう。それを棚に上げ「しっかりと、のしを付けてお返しをする。なめるなよ、ということだ」(民主党ホームページ)というような、ヤクザと見まがうような発言をする野田委員長は、政治家としての見識が不足しているのではないのか。
 民主党が政権交代可能な政党になるためにも、このような低レベルの発言は慎んだ方が良いと考える。
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2006年02月09日

時は今 カメラ下しる 如月哉

 コニカミノルタのカメラが、すごく安くなってきた。デジタルカメラの技術的寿命を考えれば、カメラ好きには2−3本のレンズと本体価格で十分に元を取れるのでは。αレンズはかなり素晴らしい写りなので心が揺れます。その上、Canon EOS 30Dが発表されれば、さらに値段が下がる可能性があるし。30Dがどんな写りをするかで答えも変わるのだろうけど・・・。


ブログ内関連記事 コニカミノルタとソニーの戦略
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2006年02月04日

言い訳ばかりの朝日新聞

 朝日新聞社は2006年2月2日付けの社説「寛仁さま 発言はもう控えては」への批判に対する反論を展開している。「皇室典範 ここは冷静な議論を」(朝日新聞 2006年2月4日)以下引用。
前略

 気がかりなのは、こうした議論のなかで皇族の発言が注目されていることだ。自民党内の改正先送り論の高まりについて、同党の細田博之国対委員長は「宮さまが否定的な見解を公表されたことも大きく影響している」と語っている。

 宮さまとは三笠宮家の長男、寛仁(ともひと)さまのことだ。昨年来、月刊誌などで女系天皇に異を唱える発言を繰り返してきた。

 私たちは、一般論としては皇族であっても自由に発言するのが望ましいと思う。だが、戦後の憲法で国民統合の象徴とされた天皇には、政治的行為や発言に大きな制約がある。皇族もこれに準じると解釈すべきだろう。

 天皇制は政治を超えた歴史と伝統の問題だという意見もある。だが、いまの天皇制は戦前と違い、国民の強い支持がなければ成り立たない。茶道や華道などの家元制度とは異なり、政治の土台にかかわる問題なのだ。

 天皇陛下や皇太子さまはこの間、皇位継承の問題について静かに見守り、いっさい発言を控えている。おふたりとも憲法上の立場を考えてのことに違いない

 私たちが2日の社説で寛仁さまに「もう発言を控えては」と求めたのは、皇族としての制約を超えると考えたからだ。皇室の総意であるかのような誤解も与えかねない。細田氏の言うように、政治に具体的な影響を及ぼしているとしたら、なおさら見過ごすわけにいかない。

 この社説に対して「言論機関が皇族の言論を封じるのか」という反論も寄せられた。しかし、皇族だからこその言論のルールがある。それを指摘するのはむしろ言論機関の責務ではないか。

 ここはぜひ冷静な議論を望みたい
 まさに反論にもなってない反論としか言いようがない。黒字で示したように、宮様に発言しないよう求めている朝日新聞の根拠がすべて「推量」に過ぎないことを自ら示しているし、身分的属性によって個人の「自由権」か喪失するものではないという、人間社会が築いてきた根本的ルールを恣意的に無視しているからだ。言論機関が自らの主義主張から、宮様の発言を批判することは、メディアとしてなんら問題ではない。(もちろん、それに対して激しい反論もあろうが、その討論自体が民意を集約していくことに繋がり、民主政のあるべき姿であると思う。)しかし、発言自体を遠慮するように主張することは、「言論の自由」の侵害であり、言論機関としてあるまじき行為である。朝日新聞は論点をずらさずに明確に自社の誤りを正すべきである。朝日新聞の主張する「ここはぜひ冷静な議論を望みたい」とは、何に対して「冷静」になるべきというのであろうか。自らが「冷静」に自社の社説の劣悪さを猛省すべきである。


参考記事 皇位継承問題(ウィキペディア)
ブログ内関連記事 言論の自由を認めない朝日新聞
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2006年02月02日

言論の自由を認めない朝日新聞

 朝日新聞の本日付(2006年2月2日)の社説は、憲法で保障された言論の自由を踏みにじる報道機関としては非常に見識を疑う内容が述べられている。言論の自由とは、どのような立場にある人でも保持している自由権のひとつであり、皇室のメンバーであってもその権利は失うことはない。どのようにひどい内容であるかは、次の引用部分を参照してください。以下引用
寛仁さま 発言はもう控えては

 皇位継承のあり方をめぐり、天皇陛下のいとこにあたる寛仁(ともひと)さまの発言が相次いでいる。

 昨年、会長を務める福祉団体の機関誌に随筆を寄稿したのに続き、月刊誌「文芸春秋」などでインタビューに応じた。さらに産経新聞と、同社が発行する雑誌「正論」にインタビューが載った。

 初代の神武天皇から連綿と男系が続いているからこそ皇統は貴重なのだ。戦後に皇籍を離れた元皇族を復帰させるなどして男系維持を図るべきだ。いずれもそうした趣旨の発言である。

 小泉首相から皇位継承のあり方を諮問された有識者会議は、女性天皇やその子の女系天皇を認める報告書をまとめた。政府はこの報告書に沿って皇室典範の改正案を準備中だ。

 寛仁さまの発言は、この報告書や首相の方針に異を唱えるものである。

 だれを天皇とすべきか。皇位継承は天皇制の根幹にかかわる問題だ。国民の間で大いに論議しなければならない。

 皇族にも様々な思いはあるだろう。自らにかかわることだけに当然だ。だが、それを外に向かって発言するとなると、どうか。改めて考える必要がある。

 当事者である天皇や皇族がどう考えているのかを知りたいと思う人もいるだろう。自由に話をさせてあげたらいい、という人もいるにちがいない。

 皇太子妃の雅子さまが体調を崩したときに、私たちは社説で、心のうちを率直に語ったらどうかと主張した。

 しかし、今回の一連の寛仁さまの発言は、皇族として守るべき一線を超えているように思う。

 寛仁さまはインタビューで「皇族は政治にタッチしないという大原則があります」と述べている。その大原則に反するのではないかと考えるからだ。

 憲法上、天皇は国政にかかわれない。皇位継承資格を持つ皇族も同じだ。

 寛仁さまは皇位継承については「政治を超えた問題だ」と述べている。歴史や伝統の問題ということだろう。

 しかし、天皇制をどのようなかたちで続けるかは国の基本にかかわることで、政治とは切り離せない。まして、いまは政府が皇室典範の改正案を出そうとしている時期である。

 たとえ寛仁さまにその意図がなくても発言が政治的に利用される恐れがある。それだけ皇族の影響力は大きいのだ。

 天皇は日本国民統合の象徴だ。国民の意見が分かれている問題では、一方にくみする発言は控えた方がいい。これは皇族も同じである。

 天皇陛下は記者会見でたびたび女性天皇や皇位継承について質問されたが、回答を控えてきた。皇太子さまも会見で質問されたが、やはり答えなかった。

 おふたりとも、憲法上の立場を考えてのことにちがいない。

 寛仁さまひとりが発言を続ければ、それが皇室の総意と誤解されかねない。そろそろ発言を控えてはいかがだろうか。 朝日新聞社説 2006年2月2日

 朝日新聞社が、寛仁様の意見に反対することは、それの賛否は措いたとしてもひとつの報道機関としての役割を果たしたといえる。しかし、発言をしないよう主張することは、「自由権」の一つである「言論の自由」の社会における具現化の一つである報道の自由を主張しているマスメディアとして、あまりにお粗末な見解と言わざるを得ない。先日の中国政府高官のメディア規制にかんする記事でも明らかになった朝日新聞の社会倫理に対するダブルスタンダードな態度にははだはだ驚かされる。自社の主張に都合の良い言説には声高に同意を示し、都合の悪い言説には相手の基本的権利さえも認めない。朝日新聞社は、人間の基本的権利をどのように考えているのであろう。
 このような考え方は非常な不見識であり、かつ傲慢な態度であるとしか言いようがない。

ブログ内関連記事 中国政府の不見識と朝日新聞の体質
ブログ内関連記事 朝日新聞の記事改定に関して
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2006年01月25日

政治家のおかしな発言

 ライブドア事件で非常におかしな発言をする政治家がいる。特に加藤紘一氏の発言は如何なのもだろうか。以下引用。
前略
 加藤紘一氏は「執行部は率直に判断の誤りを認めるべきだ」と強調。かつて金融相も務めた竹中平蔵総務相の選挙応援に触れ「米国でいえば証券取引委員会(SEC)委員長が不正会計疑惑で破綻したエンロン会長と深い親交があったようなものだ」と批判した。
衆院選で堀江社長支援、与党内からも反省求める声」(日経新聞2006年1月24日)

前略
24日午後、国会内で開かれた総務会で、加藤紘一・元幹事長は、「金ですべて片づくような考えの持ち主を応援したのはいかがなものか。『判断は誤り』と率直に認めた方がいい」と突き上げた。加藤氏は竹中氏についても、23日、「(堀江容疑者に)“政府保証”を与えた」と批判した。
後略
ライブドア事件めぐり、党内で強まる「武部たたき」」(読売新聞2006年1月24日)
というような、まるで鬼の首をとったかのような言動をしている。しかし加藤紘一氏といえば、南青山マンション疑惑で自身の秘書が逮捕され議員辞職した「政治と金」の問題で世間を賑わした人物だ。このとき加藤紘一氏が起訴を免れたのは、政治資金を不正に流用した金額が偶然にも9000万円という金額だったの為といわれており、非常におかしな事件の決着方法だったと記憶している。このような人物が、自分のことを棚にあげて「政治倫理」を語る姿は大変醜いものがある。だから武部幹事長に
前略
だが、執行部への反発が表面化している。この日の党総務会。加藤紘一元幹事長が「カネですべてが片づくという考えの人を応援したのはいかがなものか」とただすと、武部氏は思わず「カネの問題では加藤氏だって苦労したわけだから……」。加藤氏が事務所元代表の脱税事件で議員辞職したことなどが念頭にあったようで、久間章生総務会長が「もういい」と割って入った。
後略
政界、「改革」競う構図が一変 ライブドア事件で」(朝日新聞2006年1月25日)
と反論されてしまうのだ。今回のライブドア事件における政治家の言動は、ポスト小泉をにらんだ権力闘争を背景としており、その闘争で優位な状況を作る出すことにしか興味がないようにしか思えない政治家たちの発言には、如何様な内容であってもまったく評価することは出来ない。政治倫理を語るのであれば自身の政治倫理の確立を先に行うべきであろう。
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2006年01月13日

デルモンテ・ノートに関して

 デルモンテ・ノートというエラー紙幣が競売にかけられたそうだ。メディアなどでは落札価格に注目していたが、個人的にはなぜこのような紙幣が印刷されてしまったのかが気になる。紙幣の印刷工程では、概して非常に高い管理体制が敷かれているはずだ。それは、日本でもアメリカでもヨーロッパでも同様のはずで、そのようなことを考えるとこのような紙幣が流通してしまった原因が分からない。
money.jpg

 収集家にとっては本当に美味しい一枚なのだろう。そう考えれば、$25300という値段は激安といえるかもしれない。自国紙幣の偽札が世界規模で広範に流通しているアメリカ合衆国としては痛恨の出来事かもしれないが・・・。

参考情報 
お金について(日本銀行)
お札の製造工程(国立印刷局)
アメリカ合衆国ドル(ウィキペディア)
偽札は平成25年にインフレを招く(田中良通信)
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2006年01月10日

朝日新聞の記事改定に関して

 前回批判した朝日新聞の「日本の「中国脅威論」に懸念表明 局長級協議で中国側」(朝日新聞 2006年1月10日)が三度目の内容改定をおこなった。現在ではこのようになっている。以下引用。
日中両国の首脳や閣僚級の対話が途絶える中、両政府の非公式局長級協議が9日、北京で開かれた。中国側は、日本国内で「中国脅威論」が高まり始めていることへの懸念を表明。日本のメディア報道にも異例の注文をつけた。靖国神社参拝問題で小泉政権下では本格的な日中関係の改善は難しいとみられるだけに、中国脅威論をはじめとする「ポスト小泉」の対中姿勢が、06年の日中関係を占う試金石となってきた。

 「日本は、中国のことを一体どう思っているのか」。9日の協議で中国外務省の崔天凱アジア局長が佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長に問いかけた。日本側の説明によると、「日本のメディアはなぜ、中国のマイナス面ばかり報道するのか。良い報道がなされるよう中国ではメディアを指導している。日本政府も指導すべきだ」とも述べ、日本政府に「報道規制」を促した。

中略

4時間以上に及んだこの日の局長級協議は、脅威論やメディア報道をめぐるやりとりがかなり長かったという。日本側出席者は会談後、「そういうところから解きほぐしていかなければならない日中関係の現状がある。中国側は脅威論にかなり神経質になっていた」と語った。

 小泉首相が靖国神社参拝の持論を変えない以上は、首脳対話の再開など日中関係の抜本的改善は難しい。さらに、ポスト小泉の有力候補の間で脅威論が強まれば、次の政権でも事態打開の機運がしぼみかねない。

 そもそも中国の懸念の背景には、急速な経済発展や軍事費の増加に対して世界規模で中国脅威論が高まっていることがある。ただ、米国との間では軍事費や人権などをめぐって対立しつつも、昨年は戦略問題に絡む次官級対話を2度行い、ブッシュ大統領が訪中。胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席も今年前半に訪米を予定するなど、対話は軌道に乗っており、日本側との対立が際だつ。中国当局者は「米国とは大人の関係が築けているのに、隣の日本と築けないのは残念だ」という。

 日本では、靖国問題がクローズアップされる中で、「ポスト小泉」たちが中国批判を簡単には取り下げられない状況が続いてきた。

 「脅威」という言葉は慎重に避けてきた安倍官房長官も、9日夜の民放番組で、靖国問題を念頭に「一つの問題があったからといって、すべての交流を絶ってしまうやり方は間違っている」と中国の対応を批判した。

 加えて、脅威論の是非も政治の表舞台に上ってきた。民主党の前原代表は昨年12月以降、中国の軍事力増強などを取り上げて「現実的脅威」だと言い、麻生外相も12月下旬の記者会見で前原氏の発言に関連して「かなり脅威になりつつある。前原氏が言っているのは確かだと思う」と語った。

 ただ、中国が報道規制にまで言及するといったいびつな日中関係が続けば、小泉政権後に関係改善をはかる手だても失われかねない。山崎拓・前自民党副総裁は昨年暮れ、中国脅威論が「我が国に対する侵略の意図がある」ということになってしまう、と指摘した。これも脅威論が独り歩きする事態を恐れたからだ。
 今回の記事改定は、インターネットにおける批判の高まりが朝日新聞にとって無視できないものであったことの左証であろう。インターネットとブログの発展が個人に情報発信の機会を与え、個々人の自由権の発現機会が加速度的に増加してきている。既存のメディアが自己改革を実行しなければ、民主政における権力批判装置・社会修正装置としての役割の終焉を意味するものとなろう。今回のケースはその点を明らかにしてのではないのだろうか。

ブログ内関連記事 中国政府の不見識と朝日新聞の体質
posted by 分析屋 at 06:50| Comment(0) | TrackBack(1) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国政府の不見識と朝日新聞の体質

 長らくご無沙汰してました。体を壊したあとに仕事の遅れを取り戻す必要があり、更新がまったく出来ませんでした。今後も毎日は更新できない見込みです。申し訳ありません。

 今日のニュースを見ていたら非常にとんでもない記事がありました。メディアが間々行う自己にとってご都合主義的な報道で、白のものを黒にしたり、黒のものを白にしたりと云うような非常に恣意的な記事です。その記事は「日本の「中国脅威論」に懸念表明局長級協議で中国側」(朝日新聞2006年1月9日)です。以下引用。
日中両国の首脳や閣僚級の対話が途絶える中、両政府の非公式局長級協議が9日、北京で開かれた。中国側は、日本国内で「中国脅威論」が高まり始めていることへの懸念を表明。日本のメディア報道にも異例の注文をつけた。靖国神社参拝問題で小泉政権下では本格的な日中関係の改善は難しいとみられるだけに、中国脅威論をはじめとする「ポスト小泉」の対中姿勢が、06年の日中関係を占う試金石となってきた。

 「日本は、中国のことを一体どう思っているのか」。9日の協議で中国外務省の崔天凱アジア局長が佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長に問いかけた。日本側の説明によると、「日本では中国脅威論が非常に高まっている。日本のメディアはなぜ、中国のマイナス面ばかり報道するのか」「良い報道がなされるよう中国ではメディアを指導している」などとたたみかけ、日本政府に「報道規制」を促した。

中略

 異例の報道規制にまで言及して中国側が「脅威論」を牽制(けんせい)したのは、ここに来て日本政界でポスト小泉を争う政治家たちが厳しい「中国批判」を続けているためだ。小泉首相の靖国神社参拝をめぐって、日中間の首脳や閣僚級の対話は次々と断絶状態に追い込まれている。首相が持論を変えない以上、日中関係の抜本的改善のカギは次の政権が握る。

 中国にとっては、今や日本との対立関係が最も深刻だ。米国との間でもさまざまな対立を抱えつつも、首脳対話や戦略対話は軌道に乗っている。対中強硬派の米国防総省でさえ、昨年の報告書では中国軍が「長期的に見ていずれ脅威になり得る」との表現にとどめた。

 一方、日本では2大政党の「ポスト小泉」たちが中国批判を繰り返している。民主党の前原代表は昨年12月以降、中国の軍事力増強などを取り上げて「現実的脅威」だと言ってきた。アジア諸国との関係改善を前面に掲げた岡田前代表時代とは様変わりだ。

 自民党でも、麻生外相が12月下旬の記者会見で前原氏の発言に関連して「かなり脅威になりつつある。前原氏が言っているのは確かだと思う」と語った。安倍官房長官は「脅威」という表現は避けつつも、各論での中国批判は厳しい。首相の靖国神社参拝を巡って首脳交流などが途絶えていることについて「相手側が意にそわない場合は会わない、という外交は、間違っている」と批判する。

後略
 中国の「報道の自由」を尊重しない姿勢には、中国政治には民主政の「み」の字も存在しないかのような感があるとしかコメントのしようがないが、朝日新聞の記事は「報道の自由」を標榜して活動している報道機関の見解として甚だ問題であろう。本来は中国政府の民主政に対する不見識に対して激しく批判すべきところ、論点をずらし日本の政治家を批判するというのは、非常に恣意的な内容且つ、朝日新聞自身が「報道の自由」を大切にしていない左証であると言われても仕方がないであろう。中国政府の不見識が「異例の報道規制にまで言及して」程度の論述で済むのならば、安倍・中川両氏とNHKに対する一連の批判は何であったのだろうか。このような姿勢ならば、あのような論説を張らず「異例の問い合わせで」「特定グループによる人権蹂躙模擬裁判を非難した」とでも書けばよかったのではないのだろうか。また、犯罪被害者の匿名報道に対して「報道の自由」を持ち出し、激しい反対をしている自社の活動との整合性はどの様にとるのであろうか。

 このようなダブルスタンダードな態度こそ、市民が報道機関を信じなくなる大きな要因であり、メディア自身の自殺行為だといえよう。朝日新聞社の報道に間々見られる「坊主憎けりゃ袈裟までも」的態度には幻滅する。自身が好意的に考えているグループであろうと批判的に考えているグループであろうと、批判すべきところは同様に批判するのがメディアとしての責務ではないのではないか。朝日新聞のこの記事を書いたジャーナリストと編集責任者は、ジャーナリズムとは社会にとって如何様な意味があるのかと言うことをもう一度考え直すべきであろう。
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