歴史観とは他人に強制されるものではないし、他国にも強制されるものではない。あくまでも個々人が人生の中での経験・学習等によって培っていくものだと思う。歴史観とは「歴史上、実際に起きた事象」を個人が特定の観点から体系化していくことだと思う。そして、その歴史観によって個人や国家にとっての「重要な概念」が生まれるのと考える。第二次世界大戦は、人類に多様で膨大な被害をもたらした点では他に類がない戦争であった。このように極めて重大な歴史上の事件であるので、各個人の歴史観に大きな影響を与えるのは当然のことといえる。この戦争への評価から個人の歴史観の大きな差異がおき、それが個人間や国家間に大きな摩擦を引き起こす。その点を踏まえれば政治家の(他者にとって説得力の乏しい)歴史観は、国際社会の中で日本にとって不幸な事態を引き起こす可能性がある。
今回の衆議院選で、小泉首相批判のためにやたらと「ヒトラー」とか「ファシズム」という言葉を用いるのを聴く。一般の個人が自身の歴史観から小泉首相の手法をどのように評価するかはその人の勝手だと思う。しかし、日本国民を代表する政治家は、上記で述べたように国際摩擦を引き起こす可能性を踏まえ、相対的に説得力の高い歴史観を持つことが望まれている。そういう観点から考えると、小泉首相の批判者たち(自分が直接聞いた範囲では、民主党・国民新党・新党日本・社民党の一部の議員)が、軽々しく「ヒトラー」と「ファシズム」という単語を使うのは、国際的な摩擦を引き起こす危険性があるという点を指摘せざるを得ない。欧米では「ヒトラー」や「ファシズム」が人類にもたらした災悪は、巨大なものとして考えられている。そして、この両者への拒絶反応の大きさは日本人にとって想像以上のものだ。そのような背景を考えれば、小泉首相の行ったことぐらいで「ヒトラー」とか「ファシズム」という用語を当てはめることは欧米人には理解しがたいことだし、極端なケースになれば反感を伴った拒絶反応を引き起こさせることになる。したがって、亀井静香氏が日本外国特派員協会主催の講演会でおこなった会見に拒絶反応を示した人がいたのも不思議ではない。以下引用。
前略政治家の言動は日本を代表するものとして捉えられる可能性が高い。そのようなリスクを持つので、市民は自分の身を守るためにも「相対的に説得力のある歴史観」を持つ政治家を選ぶ必要がある。特に、第二次世界大戦に関する歴史観は国際摩擦の大きな要因となるので、この点に関する主張を日ごろよく聞いておく必要がある。今回の選挙では、多くの人達が注目しているため、政治家も非常に多くの討論会に参加をしている。その討論内容には政治家個人の歴史観の欠片も含まれているので、判断する方としては大変参考になる。左右どちらの思想を問わず極端な歴史観を持つ人はいるので、日本の将来のためにもこのような人達には退場を求めたいと考えている。政治家が国の形を定めるのではなくて、市民が国の形を定めるものだと自分は信じている。
宿敵・小泉首相を過激に批判する亀井氏の姿勢は、日本外国特派員協会でも変わらなかった。
「悲しいことだが、今の日本ではファシスト政治、強権政治が行われている」
「小泉首相は非情な人。ヒトラーより、もっと独裁的な政治をしている」
極端な表現も混じる熱弁に、外国人記者23人を含む180人の聴衆は口アングリ。ヒトラーまで引用する言葉には、一部で反発も買ったようだ。質疑応答で、女性外国人記者が「小泉首相を、約600万人を虐殺したヒトラーに例える根拠は」と亀井氏に厳しく詰め寄ると、場内から拍手が巻き起こる場面もあった。
だが、亀井氏は主張を譲らない。「ヒトラーより最悪だというのは、ヒトラーでも全権委任法を作ってから独裁政治をしたこと。小泉首相はルール無視だ」。さらに続けて「今回出馬を断念した議員や私たちは、小泉首相に政治的な毒ガス室に入れられたようなもの。私は生き残るがね」とまで口にした。
中略
あまりの勢いに、講演会後は嫌悪感を示す外国人記者も。「講演会にユダヤ人の聴衆がいたらどんな気持ちを抱くか、少し考えたほうがいい。国際的場面ではヒトラーを例えに使う政治家はいない」(米国人ジャーナリストのエリック・プリドー氏)。多くのメディア関係者には、郵政総選挙の争点より、亀井氏の憤りの激しさばかりが印象に残ったようだ。
後略
「「首相はヒトラーより最悪」…亀井氏、講演会で極端発言」(サンケイスポーツ 2005年9月1日)
2005年9月10日追記
やはり、亀井静香氏の発言は世界中で大きな話題になってしまいました。Googleなどのサーチエンジンでキーワードに「Koizumi Hitler Kamei」を用い、その状況をご覧になってみてください。政治家は自身の発言の影響を真摯に考えてほしいものです。
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